ペトラ遺跡へ。2(2018年11月)
ガイドさんが持っているのが、エル・カズネ(宝物殿)の昔の姿。
彩色され、地下もあったようです。王家のお墓だったとみられています。
元は砂漠の遊牧民だった古代ナバテア人が、ペトラを要所としたのは2000年以上前。それ以前から暮らしていたエドム人を追いやって、ナバテア王国を築きました。王制でも民主的で、裁判所のような場所もあったとか。キャラバン隊の中継地でスパイス交易で栄え、外国人も居住。古代アラブ、先住のエドム人、古代ローマ、古代ギリシア、エジプト…様々な文化の影響を受けたようです。ワインを生産し、酒盛りもよくやっていたとか。そう聞くと楽しそうです。
のちにローマ帝国に完全に支配され(106年)、地震(363年)やイスラム帝国の征服(663年)で街は衰退、749年の地震後にナバテア人はペトラから去った、とされています(以上、ウィキペディアより)。
中には入れません。下から眺めてみる。
地下。
正面にはカフェとお土産を売る店があり、座り込んで長いこと眺めてそうな人たちも。
しかし私たちは移動します。かわいいロバがたくさん!
居たけど乗らず、徒歩です。
途中、砂絵を見学。よくこんな、小瓶の中に描けるものです。
私も記念に一ついただきました。15ドルでした。(サイズや絵柄によります)
お店で休憩を挟みながら歩きます。
ベドウィン・メイクをしてくれるらしい。
アンモナイト売ってました。
ペトラの猫たち。
地層?
いえ、劇場跡です。
かつては大理石で覆われていたそうです。その名残↓
時折、緑があります。アロエのようですが、花の咲かないチューリップだそうです。
人も馬もロバも通る道でよく寝てました。
エル・カズネだけでなく、岩壁をくり抜いた遺跡がいくつもいくつも…
テントの土産物やを抜けて、岩の階段を登ってアーン(壺)の墓へ。
振り向くと
広い…
まだ続きます。
ペトラ遺跡へ(2018年11月)
「世界ふしぎ発見」でペトラ遺跡が取り上げられた翌日、母と盛り上がって決めた「ペトラ遺跡」への旅。JTBさんの成田発ヨルダン6日間ツアーを選び、昨年の話ですが、行ってきました。映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989)に感化され、いつかはと思いを温めていた旅先。決まるときは一瞬で決まるものです。この勢い、タイミング、面白いです。
成田から夕方発のエティハド航空に乗って約12時間でアブダビ。空港のホテルで1泊し、翌日乗り継ぎで約3時間でアンマン。アンマンのクイーン・アリア空港からバスで砂漠の一本道(デザート・ハイウェイ)を南へ約3時間半走り、ようやくペトラに着きました。
ホテルは遺跡のゲートに最も近い、ペトラ・ゲストハウスでした。
朝食後すぐ、 8時だったかな、出発です。
遺跡へのゲートはホテルの横ですが、そこから「シーク」と呼ばれる遺跡の入口まで緩やかな坂道が約800メートル。シークも1.2キロほどあるらしい。
シークの入口まで、馬でも行けます。馬を引くベドウィンの男性がハンサムで、すかさず写真を撮る。引き目だけど。
いよいよ、来ました。映画の舞台となり、世界中から注目が集まった場所…
なんだけど、なんか可愛い看板。
岩壁の間へ、いざ!
壁の間に人が吸い込まれていきます。
こんなゴツゴツとした場所にも時折、緑が。
左下の溝はナバテア人の水路跡。
しょっちゅう馬車が突っ走っていくので、
特に道幅が狭いところでは注意が必要です。
しかしなんというか、、
断崖の高さ約90m。こんな場所を、“街”への通路に利用するなんて。
シーク内にはさまざまなレリーフの形跡があり、
往時はどんな優雅な場所だったのかと、思わずにいられない。
石畳も残っています。
あら、かわいい人たちが♡
笑顔いただきました。儲かってますか?
シークの道幅はどんどん狭くなっていき、私たちが行った2週間ほど前に起こった濁流の名残で、ぬかるみもありました。ちょっとドキドキ。だけどこれが見えてきたら、一気にテンションが上がりました!
本当にバラ色。
エル・カズネ(宝物殿)。王家の墓だったそうです。
やっと来た! 本物だぜ! ニヤニヤが止まりません。
そして古代ギリシア様式というものは、どこまでも伝わっているのだな、と。
写真を撮りまくっていたら、あれ、母がいない。
気づいたら、、
現地の少年にナンパされていました。
さすがモテキャラ。
エル・カズネの荘厳さに、大げさですが、「喜」以外を忘れるほど感無量、、
しかしここはペトラ遺跡の、ほんの入口でした。
つづく。
夜明け前がいちばん暗いが、元気があれば何でもできる。
子どもの頃の体験が大人になって影響することが、トラウマといわれる場合もあれば、生きる指針、あるいは信念につながることもあると思います。
私は小さい頃気管支炎持ちで、ふだんより興奮したりはしゃぎ過ぎたりすると、その日の夕方から明け方まで、呼吸困難の発作が出て眠れないことがよくありました。そんな風になると分かっていても、楽しいことがあったらはしゃぐんですよねぇ。子どもだもん。
だけど息が苦しいのは本当に辛くて、夜は全然眠れないし、同じ体制で横になっているのもきつい。夜中家族が寝静まった部屋で、私の「ゼイゼイ、ヒューヒュー」という呼吸音だけが聞こえます。家族に気を使いましたが、私以外全員すぐ眠れるタイプなのは幸いでした。ただ、母はよく付き合わせてしまい、申し訳なかったです。また親戚の家などで発作が出ると、みんなに聞こえていないかとても気になりました。苦しいのに呼吸をひそめて、いっそう苦しくなる。明け方近くなってやっと治まってきて…疲れ果てて寝落ちするパターンの繰り返し。思い出したら我がことながら、少し泣けました。
発作の間は、想像しかすることがありません。暗闇の中で、死にたいとか、死ぬかもは思わなかったけど(翌朝には治るし)、死んだら楽になるな〜、死ぬってどういうことかな〜は、よく想像しました。だけど考えても考えても、今そう考えている「自分が消えてなくなる」ことが、どーーーーーーしても腑に落ちない。で、考えているうちに、体は死によって動かなくなるけど魂は死なない! と確信しました。ちびっ子なのに。いや、ちびっ子だからかな。魂が消えると思えない→だから、なくならない! という短絡的な発想。それを記憶に刻み込んで、根拠なき自信、人生は楽しむもの主義を備え成長しました。
こんな話ふつう人前でしないけど、先日坂爪さんと福岡のイベントを企画していた時、話の流れでふと漏らしました。そういうの強いですね、と言ってもらい、何か私、人に認めてもらいたかったのかな、と思ったり。
坂爪さんのブログ「いばや通信」が好きでタイミングが合うと直接お話させてもらうのですが、本当に不思議な人で、自分の話をすごく聞いて欲しくなります。全身耳か!みたいな聞く姿勢のせいか、話す人を素っ裸にする感じ(ただし頭でしゃべっているとスパパパッと斬られます)。ライターのような、人の話を聞く仕事をする人は、こっそり見学したらいいと思うくらいです。
先日のイベントのことなど、こちら。
聞く姿勢がいいなと思うのは、この人もそうです。もじもじ考、フォノグラムのおにょこと小野田さん。(一緒にやっているコイーダくんの聞く姿勢も好きだ) こんな面白い人(たち)に会うことは、滅多にないです。フォノグラム解説の動画配信をやるそうなので、ご興味あればどうぞ。後ろの棚に、「アロエヴェラ・タブレット」のリーフレットを置いてくれてありがとう!
実は今朝、おにょさんが夢に出てきて「子どもの頃からか〜」と言ったので、ブログ書きました。意味不明〜(笑) どちらにしても、こんな面白い人たちとその活動がもっと多くの人に認識されたらいいなと思います。視野と行動範囲を広げてみると、世の中には本当にいろんな人がいる。もっと遊びに出かけよう〜!
なんだかまとまりのない話となりました。ちなみに今回のタイトルは、リアルに私の好きな言葉からです。
「夜明け前がいちばん暗い」(幼少期の思い出より・笑)
「元気があれば何でもできる」(呼吸困難(便秘も)解消して最高!)
環境が変わるタイミングで「ふりかえり原稿」を書く
前職のアルムナイ(OBOGのこと)として、「アルムナビ」さんに載せていただきました。
ちょうど、3年続けさせてもらった旅冊子の編集ディレクター業務を解消する時期にこの話をいただきました。内容はそれよりずっと前の会社員時代の話だけど、いいタイミングに自分の仕事をふりかえり、頭の整理ができました。
実は3年前に編集ディレクター業務を始めたばかりの頃も、あるプロジェクトで私のプロフィールを企画書につけることになり、過去の仕事について原稿を書いたんですよね。その時、書いているうちにどんどん熱が入っていった事を覚えています。それによってクライアントに「私」を知ってもらうことができ、仕事にスムーズに入れたのだろうなと思います。
仕事と環境が変わるタイミングで、やってきた事を文章化する機会が、たまたま2回続きました。たまたま、なのか、何かに書かされているのか。有難や!
それにしても書いてみると、意外と私、いろいろな事をやってきているな! 道理で今があるわけだ! と妙に納得できます。自分を褒めたくなります。そして周りの人たち、会社を離れても今もつながってくれる人たちに、感謝の気持ちが湧きました。
なのでオススメ。「ふりかえり原稿」を書くの良いですよ。人目に触れなくても、日記でも秘密のメモでも、いいと思います。
京都へ2(2019年5月)
久しぶりの京都、久しぶりの一人旅。楽しいったらありゃしません。
鴨川沿いを歩くのって、なんて気持ちがいいんだろう。
糺ノ森の青紅葉。
さるもち。
河合神社の手水舎の横のフタバアオイ…神社の建物より緑に惹かれる私。
翌朝は7時過ぎにホテルを出て、上賀茂神社へ。
しばらくしたら参拝客が増えてきた。
以前もここで、同じように掃除をする人を撮った気がする。
朝の光を浴び、風を感じて、大きな木の周りを歩き、清々しい時間を過ごしました。
そして以前から行きたいと思っていた、南禅寺の器屋さんへ。
和樂の記事↓
店主の梶さんがいらして、器をどう使っているかや作家さんの話をとても気さくにしてくださり、短い間でしたがものすごく楽しかった。器を一つ買い、また来ます! と言って店を出ました。
あ花音から近い、山縣有朋の別荘・無鄰菴(むりんあん)へ。
知識なく立ち寄りましたが、次回はここでお茶をいただいてゆっくり過ごそう。
それにしても上賀茂神社へ行ったら表千家の献茶会の日で、前日は裏千家の今日庵や学校ある路地を散策してた。あ花音さんで買った器も「旅先でお茶をいただくのに持って行く茶碗」と聞いて、「これにしよ」と決めてたし。なんかまた、「お茶」に触れたくなってるのかな。
帰ってきてとりあえずラフに点ててみたら、、やっぱり下手。がっくり。
でも器は、可愛い。お茶は下手でしたが、その後コーヒーは美味しくいただけました。
京都へ(2019年5月)
先週、京都へ行きました。一日目はこちら。
妹のヨガスタジオで今年から時々開催してくれる「もじもじ考」の本格バージョン、フォノグラムと鍼による体の調整をしてもらいに、博多から京都まで。しかも超痛いの。久しぶりにドMと言われました(笑)
だけど、おにょさんの調整を受けると本当に楽になります、心身ともに。私も痛いのは嫌ですよ、それでも強烈な痛みの後、フラットな感覚になって色々なことが楽になる。表情まで変わるから不思議です。
ちなみにリンク先のシールド張られた写真は、強烈なプロレス技的な術をかけられた後。マジでひどい写真…。しばらく起き上がれなかったけど、あとは気持ちよかったな〜。よかったらこちらもご覧くださいませ。
その後、美味しいお店へ連れて行っていただきました。
お酒も美味しかったな!
そして何より、新しい友達ができたのがうれしい。
みんな、また会おうね!
霧島のパワースポットへ(2018年7月)
霧島神宮へ。
その裏手にある、山神社へ。
厳かな場所でした。
ここは波動の高い場所、だそうです。が、私にはよく分からず。
時々、気持ちがいい〜! と感じる場所はあります。ただその時の気候とか誰と一緒いるかにもよる気がするんです。そのくらいの感覚で、いい気もします。
さらに車で、神々溝(かんがみぞ)という場所へ。ここは都城に入ります。パワスポ好きで霊感人間の義弟がズンズン先を行く。
草やぶの中を進むと…
両側に岩の壁がそびえる、こんな道(?)に出ました。これが200mほど続くのですよ、ちょっと興味深いです。
陽が差してキラッキラ。
詳しくはこちらで。
cms.city.miyakonojo.miyazaki.jp
ここもある意味、霧島のパワースポット。「きりん商店」さんは一度取材させてもらったのですが、居心地が良くてものすごく予定オーバーした楽しい思い出があります。
お店のご夫婦がお二人ともに笑顔が超素敵で、霧島に行ったら必ず立ち寄りたい場所です。山の中なのにお客さんがひっきりなしにやって来るの。こういう場所こそ本当のパワースポットじゃないかと思う。
アイス抹茶をいただいて、買い物をして帰りました。
翌朝は古民家の宿「母の詩」から歩いていける「若尊鼻(わかみこばな)」へ。ここから磯の遊歩道を1kmほど歩くと神社があり、そこはヤマトタケルが熊襲征伐の際に上陸した場所、とのこと。せっかくだから行ってみるか〜と、母と気楽〜な感じで行ってみました。
で、結論から言いますと、それほど気楽な道ではない。途中写真もあまり撮れないほど、母と私はわりと一所懸命歩きました…。ビーサン慣れしていない人はスニーカーが良いです。
こちらの記事に、道中の写真があります。
釣り人、いました。
猫、死にかけたのが一匹いました。
そのほか、最も多かったのが
フナムシ………
小さいのから大きいのまで無数レベル。
ここは犬を散歩させて、先に行かせるのがいいそうです。ご参考まで。
そんなこんなでやっと到着。
こちらが祠です。
こういった場所を祀る自然崇拝の感覚は面白いと思う。そして確かに、生き物のようでありました。
ここまで来たら景色も落ち着いて撮れます。桜島ーーー!
母と桜島。この眺めは格別でした!
そしてまた、フナムシの道を帰るよ…。